長崎 悟真寺、稲佐山に引き続き、関連絵葉書を紹介します。
長崎を舞台にした映画 「解夏 」 は、フジテレビのドラマでは 「愛し君へ 」 というタイトルで放送されました。
解夏は稲佐山の対岸を中心に撮影されましたが、 「愛し君へ」 は稲佐山の麓付近でも多く撮影されました。
「生きとし生ける物へ」 はドラマの主題歌でした。
さて、悟真寺は、明治に出版された、瓜生寅 著 「日本国尽 第八巻]に記載されています。
その他にも興味深い地名、たとえば、「繭人墓」なるものがあります。これは、長崎淵神社 境内にある「桑姫神社 」が祭っている、桑姫に由来するものだと思います。(下記参照)
稲佐は、江戸時代、歌川(安藤)広重 の浮世絵 六十余州名所図会 「肥前 長崎稲佐山」に描かれています。
彼がその美しさに魅力を感じたのだと感じます。いかがでしょう?
グラバー園、大浦など長崎の東側から稲佐へ行くには、船で行くか陸を大きく迂回しなければいけませんでした。
そこで、1906年(明治39年)、市内最長の石柱木造の 稲佐橋 を架橋しました。
1926年(大正15年)には鉄橋に変わりました。
橋の向こう側に見える白い建物は学校でしょうか。
長崎にはこの写真のようなすばらしい建物が多く建っていたようです。
下は長崎県立中学校です。
●桑姫社(くわひめしゃ)
渕神社境内にある桑姫社は「縁結びの神様」として知られています。、それは祀っている桑姫の命日が七夕の日(旧暦)であるからだそうです。桑姫社は豊後(大分県)のキリシタン大名、大友宗麟の子、義統の娘である阿西(おにし)・マキゼンシャを祀ったものといわれます。マキゼンシャは、大友家の没落後、長崎に亡命、長崎の淵村に隠れ住みました。マキゼンシャはその地に桑を植え蚕を飼い糸を紡ぎ、近隣の娘たちにその手法と行儀作法も教えていたそうです。寛永4年 (1627年)、姫が病死すると、地域住民は桑を植えて墓所の標しとしました。それ以来、墓所は「桑姫君塚」と呼ばれるようになったそうです。その後、淵神社境内に移されキリシタンを祀る珍しい社になったそうです。
一生懸命書いています。笑
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